美しい自然に恵まれた宍粟市一宮町一帯は、豊かな大地から、おいしくて、きれいな『水』が湧きでているところが多いといわれている。
平成11年4月(1999年)旧宍粟郡一宮町当局は、この湧き水のうち、とくに水質のよいところを「一宮名水」に選定した。名水に選ばれたのは、同町伊和の「延命水」、同町福知の「文殊の水」、同町公文の「千年水」、同町東河内の「岡の泉」、同町河原田の「阿舎利の水」、同町公文の「藤無山の水」、同町倉床の「ふれあいの水」の七湧水。
どの名水場も地元の人たちによって整備され「水」を飲んだり、汲んだりするのに気持よく利用できるようになつており、どこの名水場へも訪れる人たちが跡をたたず、日曜や休日には水汲みを待つ人たちの行列が出来るところもあるとか。
その名水場のうちの一つ。伊和の「延命水」の湧出場所と隣接地に建つ「行者堂」にかかわる昔からの言い伝えがあるとの話を聞き取材することにした。
秋晴れの爽やかな日。宍粟市山崎町の中心部から車で出発。国道29号線を12キロほど北進し、かの有名な同市一宮町の伊和神社前に到着。伝説の地への案内をお願いしていた旧一宮町の5代目の文化協会長、大井直樹さんと出会って対談。このあと地元の歴史に詳しい同町伊和に在住の旧一宮町の3代目の文化協会長、中村長吉さん宅を訪問。取材の同行をお頼みしたところ心よく引き受けてくださった。
さっそく取材先へ向かって出発。伊和地区の国道端に立つ「延命水」「行者堂」への案内表示板に従い、林道にはいって東進。しばらく走ると道端に「句と歌の道」と刻み込んだ自然石の大きな石碑があり、そこから約250メートルにわたって道の両側に高さ約1メートル、幅約80センチの短歌や俳句を刻んだ石碑120基が、ずらり並んでいた。その中には 「延命水白山茶化に湧きやまず」という句碑も見られた。「句と歌の道」を過ぎると昔からの言い伝えのある「延命水」と「行者堂」のある山すそに着いた。
「延命水」の取水場は大きな自然石を積んで作られており取水口は二つ。一つには“行者の霊水”もう一つには“延命水”と書かれた札が下げられていた。そばに立つ案内板には「この水は渓川の水ではありません。霊山の水で名づけて延命水と申します。すでにあらたかな霊験も顕われております」と記載されていた。「行者堂」は古風な木造だった。
中村さんと、大井さんから聞いた話と「宍粟市いちのみや名水MAP」を参考に想像もまじえて「延命水」と「行者堂」にかかわる昔からの言い伝えをつづってみた。
いまから、およそ250年前の江戸時代、伊和の里(現在、一宮町)に若い男の賢者が住んでいた。賢者は仏道を究めるため奈良の大峰山の根本霊場へ行き長期にわたって修行。たびたび大峰山に入って修行の功を積んだ人に贈られる「大峰先達」の位までもらって帰郷した。賢者はその後も地元で修行を続けたいと、伊和地区の東方、樹林の中に三つの滝が落下、きれいな湧き水もでている山ろくを見つけ、そこに木づくりの小さな「行者堂」を建てた。賢者は滝に打たれて身を清めたあと「行者堂」に、こもって読経を続け、疲れると、きれいな湧き水を飲んで元気いっぱいの修行を続行した。この様子を知った近在の人たちが、つぎつぎ「行者堂」を訪ね、賢者の指導を受けながら修行を繰りかえし仏道を究めたとのこと。
「行者堂」から約600メートル奥地にはいると昔、行者が身を清めた三つの「行者の滝」があるというので、そこへも案内してもらった。山の谷間に、そそり立つ広大な岩盤の中に落差20メートルを超える滝が並んで見えた。一つの滝は飛沫をあげながら勢いよく落水していたが、ほかの二つは落水がなく岩膚が濡れているだけだった。中村さんは「昔は三つの滝とも激しい落水があったそうだが、いまは一つだけが常時、落水。あとの二つは雨が降ったあとだけ水が落ちている」と話しておられた。
(平成19年11月掲載:宍粟市山崎文化協会事務局)