兵庫県教育委員会から昭和47年3月に発行された西播奥地民俗資料緊急調査報告「千種」には、宍粟市千種町内の人たちによって語り継がれてきた伝説や民話などが、たくさん掲載されている。
今度の「郷土の伝説と民話」(57)が続載されるサンホール二ユースは、うだるような暑さが予想される真夏の7月上旬、宍粟市内の各家庭に配布されるとのことだったので、「ちょっぴり暑さを忘れて笑いながら読んでいただけたら…」と思い、前記報告書の中から面白そうな『だんご(団子)』という昔話を選んで取材した。
梅雨晴れの日。同市山崎町の中心部を車に乗って出発。県道、宍粟-下徳久線と若桜-下三河線を通り、およそ40分かかって千種町へ。同町内は野も山も美しい“緑”でいっぱい。さっそく各地を巡回して風景写真を撮影した。
このあと、同町岩野辺在住の地元の歴史に大変詳しい旧千種町の元教育長・上山明さん宅を訪問。応接室で上山さんから『だんご』のことなど同町内の昔話について、いろいろのことを聴かせていただいた。
『だんご』の話は、むかし同町と因幡(鳥取県東南部)の人たちとの交流が盛んだったころ因幡の“佐治谷?”の人たちが千種町へ来訪。その時、話をされたことを同町の人たちによって語り継がれた昔話らしい。
前記の報告書『千種』に掲載されている『だんご』の内容と上山さんから、お聴きした話を参考に想像もまじえて『だんご』の昔話をつづってみた。
むかし、昔のこと。山深い村里に仲のよい夫婦が居住。主人は大工仕事、妻女は家事に精を出していた。
ある日、主人が、ちょっと離れた街へ住宅を建築する仕事に出かけた。主人は働きものとあって早朝から汗だくだくで作業に励み、午後3時ごろ、やっと仕事が一段落ついたところで休憩した。
その時、建築依頼主の奥さんから手づくりしたという おやつ をいただいた。この“おやつ”-ホッペタが、とびだすほどうまかった。大工さんは、いままで食べたことのないものだったので、サービスしてもらった奥さんに「これは、なんという食べものですか…」と尋ねたところ「お米を原料に作った『だんご』ですよ…」とのことだった。
主人は『だんご』のおいしかったことに感激。早く家に帰って女房に『だんご』を作ってもらおうと思い、名称を忘れないよう『だんご』『だんご』と繰り返し言いながら家路を急いだ。
帰宅途中の狭い山道にさしかかったところ落差80㌢位の土手があり、この土手を“ヒョイトセェ…”と言って跳びおりた。そのとたん『だんご』の言葉を忘れてしまい、ここからは“ヒヨイトセェ…”“ヒョイトセェ…”と言いながら歩き続けた。
やっと家に帰り着き、玄関にはいると同時に「帰ってきたぞ…」と声をかけた。妻女は直ぐに顔を見せ「お帰りなさい。きょうも仕事が大変だったことでしょう。早くお休みください…」と、ニッコリ笑って主人を迎えた。すると主人が「すまんが“ヒョイトセェ…”を作ってくれんか…。きょう仕事場で“おやつ”によばれたが、ものすごう、うまかったんや…」と頭をさげて頼んだ。妻女は「“ヒョイトセェ…”とは、なんですか。私は、そんな食べ物、知らんので作れません…」と返事。この言葉にカチンときた主人が「“ヒヨイトセェ…”は、きょう仕事先で食べたところや…。知らんので作れんとは言わせんぞ…」と大声でどなった。しかし、妻女は再び「知らん食べ物、作れるはずがないでしょう…」と言い返した。
癇(かん)をたてた主人は、いつにもなく激怒。ゲンコツで思い切り妻女の頭をぶんなぐった。妻女は、びっくり仰天。「痛い、痛い…」と、叫びながら両手で頭をかかえて、うずくまってしまった。
しばらく沈黙の時が続いたが、なんとか妻女が立ちあがり「私の頭をよく見なはれ、こんな大きな“タンコブ”ができてます。どうしてくれるんですか…」と、どなり返した。“タンコブ”という言葉を聞いた途端、主人は「そうや、そうや、仕事場でいただいたのは“ヒョイトセェ…”じゃなく『だんご』だったんや…」と気がついた。
主人は「わしが間違っていた。『だんご』だったんや。“ダンゴ”のような“タンコブ”を見て思い出した…」と妻女に暴力をふるったことを、ひら謝り。ど下座して深く頭をさげ「わしが悪かった。すまんことをした。こらえてくれ…」と何度も言い続けた。
やっと仲なおりした夫婦は、同夜、力を合わせて米の粉を作り、これを水でこねて小さくまるめたあと蒸して『だんご』をこしらえ黄粉(きなこ)をまぶして「うまい…」「おいしい…」と笑顔で話しあいながら夜の更けるのを忘れて食べ続けたとか…。
(2006年7月掲載:宍粟市山崎文化協会事務局)