(42)宍粟郡 『わらすべ長者』

 宍粟郡北部地域。とくに千種町内で、ずうーと前から『わらすべ長者』という話が語り継がれている。大筋では「貧しい若者が“わらすべ”を手にしたことが切っ掛けで幸運が続き、裕福で幸せな長者になる」という話。しかし、幸運に恵まれる経過の中身は各地域で、まちまちだった。
 千種町の上山明・前教育長はじめ、あちこちの人たちに聞いた話を大雑把にまとめたうえ昭和47年、兵庫県学校厚生会から発行された「郷土の民話」を参考に想像もまじえて『わらすべ長者』の話をつづってみた。

 むかし、昔。同郡北部の山里に働きものだが貧しい若者が住んでいた。来る日も、来る日も地元の庄屋さんに頼まれて農作業、山仕事など精いっぱい働いていたが収入はほんのちょっぴり。暮らしは少しもよくならなかった。
 ある日のこと「こんな暮らしをしていては、どうにもならん…。どこかへ行って一旗あげよう…」と思い立ち旅に出た。山里を少しでも早く離れたいと急ぎ足で歩き続けたので5里(約20㌔)ほど行ったところで疲れが出て、ぐったり。道沿いにあった寺院に立ち寄り、本堂近くの廊下にゴロリ寝ころんだ。しばらくぼんやりしているうちに、ぐっすり眠ってしまった。そのとき「お前は、これからきっと幸せになるぞ…。なんでもエエから手の中にはいったものは大事にせえ…」との夢をみた。
 この夢に力づけられた若者は、寺院を出て足どりも軽く歩きはじめた。ところが、どうしたことか路上にあった石につまずきドスンと、ころんだ。あわてて起きあがったら手の中に “わらすべ” =稲わら=を握っていた。若者は、この “わらすべ” を持ち鼻歌まじりで歩き続けた。
 小さな村里に差し掛ったとき、一匹のアブが飛んで来て顔の回りをブン、ブン。迫うても迫うても逃げなかった。若者は「うるさいやつや…」と言いながら手のひらでアブをつかまえた。さっそくアブを “わらすべ” の先に結び付けブン、ブンいわせながら先を急いだ。
 しばらくすると、子ども連れの大家の奥さんに出会った。そのとき子どもがアブを見て「あれがほしい…」と奥さんにねだっているのを聞いた。さっそく若者はアブを付けた “わらすべ” を子どもにやった。すると奥さんが、お礼に大きなミカン3個をくれた。「アブと “わらすべ” が3つのミカンになった」と若者は大よろこび。直ぐに食べるのは惜しいので木の枝に包み紙ごとくくりつけ肩にかついで歩いた。
 やっと峠の頂上近くまで登ったところ身形(みなり)のよいおかみさんが道端に坐り込んで、あえいでいた。若者は「どうしたんですか…」と覗いてみたら、おかみさんは、か細い声で「遠いところから旅を続けて、ここまで来たんですがノドが渇いて絶え入りそうです…」と答えた。若者は大切にしていたミカンを出し「これを食べなさい」と、おかみさんに渡した。おかみさんは三つのミカンを食べ終わると、みるみる元気を取り戻し、繰り返しお礼を言いながら新しい木綿三反をくれた。
 それから反物を背負って歩いていると、村里の大きな家の近くでウマが口から泡を吹きながら倒れていた。腹痛を起こしたらしく飼い主の庄屋さんは困り果てていた。そこで「この反物を腹に巻いてやったらどうでしょう…」と若者は力を振り絞ってウマの腹に反物をグルグル巻きつけた。しばらくするとウマは元気になった。このウマは参勤交代のため江戸へ荷物を運ぶウマだった。庄屋さんは若者に「すまんが急いでいるので、わしが帰るまで家の留守番をしといてくれ…」と頼み、あわててウマをひいて旅立った。 若者は、しっかり留守番を続けていたが待っても待っても庄屋さんは帰ってこなかった。若者は仕方なく、この家に住みつき、庄屋さん所有の広大な田畑や山林の手入れなど懸命に続けて財を重ね、裕福で幸せな暮らしをし、近在の人たちから『わらすべ長者』と言われたという。
      (2004年1月掲載:山崎文化協会事務局)