一宮町深河谷の池王(いけおお)神社は兵庫県指定の天然記念物「アカガシ林」の社叢(しゃそう)で有名。森の中には樹高およそ20m、幹回り5.45m、推定樹齢600年の巨木がそびえ立っている。
この神社に村人の悪事なら、なんでもお見通しの“三顔高神(さんがんこうじん)さま”と、馬の嫌いな“池王権現さま”の二つの伝説が語り継がれているのを聞き、取材のため同神社、宮総代の中津直幸さん=深河谷在住=を訪ねた。生憎の雨の午後だったが親切な中津さんの案内で同地区の山腹にある池王神社へ登った。雨に打たれながら、“三顔高神さま”と“池王権現さま”のお社の前に立ち相手(かしわで)を打っておまいり。このあと中津さんから、いろいろ話を聴き、「一宮町史」を参考に二つの伝説をつづってみた。
“三顔高神さま”をおまつりする小さなお社は、神門のすぐ近くの森の中に建っていた。ご神体は三方に顔のある背丈30cmほどの木像神。目が六つもあり、どんな悪事でもお見通しの神様とあって、村の人たちは神罰を恐れ、悪いことをする者は一人もなかった。この神様は、もともと同地区の目叶野のイチョウの木などが生い茂る高神森に鎮座されていた。ある時、この森の巨木が伐り倒されたところ、お社への風あたりが強くなった。そこで村人たちが相談し「激しい風の吹く日は神様も心やすらかに、お過しなさるのは無理だろう。風でお社が吹き飛ばされるようなことがあれば、それこそ大変なことになる」と、ほど近い池王神社境内の森の中へ遷座していただいた。
ところが、その後、毎夜のようにご神体の木像がお社から、ころげ落ちた。村の人たちが、びっくりして恐るおそる神様にお伺いしたところ「もとの目叶野へ帰りたい」とのご託宣があり、さっそく元の目叶野へ遷座していただき懇(ねんご)ろにおまつりした。
しかし、昭和58年、同地区内の町道改修のため再び目叶野からの遷座を余儀なくされた。地域の人たちは繰り返しご遷座をお願い。池王神社の森の一角を念入りに整備して再度の遷座をしていただいた。神様は再遷座地が、なんとか気に入られたのか、いまも安らかに鎮座しておられるとのこと。
中津さんは『子供のころ両親から、どんなところに隠れて悪いことをしても高神さまはお見通しや。罰があたるぞ…と、よく戒(いま)しめられたものです』と話していた。高神さまは悪を戒しめるだけでなく、各家庭に火災や盗難がないよう見守って下さるというので、地域の人たちは〝三方(さんぽう)さま″と呼んで崇(あが)め親しんでいる。
池王神社は池王大権現さまをおまつりしている。江戸時代初期、延宝元年(1673年)に建立された神殿は播磨と但馬を結ぶ街道が通る東の方を向いていた。そのころ街道の往き交いは馬を使うことが多かったが、池王権現さまの前の道に来ると馬が大あばれ。乗馬によく慣れた武士まで落馬事故を起こすこともあった。村の人たちは「馬があばれるのは、なぜだろう」と、相談を重ね「権現さまは馬が嫌いなんじゃないのか。その馬がご神殿の真正面の道を通り過ぎるから怒っておられるのでは…」ということになり、ご神殿の向きを西向きにした。すると、それからは馬があばれることも落馬事故もなくなったという。いまも神殿は西を向いている。
(2000年5月掲載)