(13)一宮町横山『神子(かんこ)踊り』

 一宮町横山地区では、毎年秋の9月17日、氏神さまの横山神社に昔から伝承されている「神子踊り」を奉納。五穀豊饒と災害防止の祈願をしている。
 この「神子踊り」については、古くからの言い伝えがあり、同町教育委員会と郷土史家の中村長吉さん、地元の太中忠太郎さん、石原良一さんに話を聴き、同町史を参考に、その伝説をつづってみた。

 いまから五百年ほど前のこと。伊勢の桑名から諸国巡礼中の一人のお坊さんが横山地区へやって来た。そのころ同地区では、ある年はカンカン照りの日、ある年はドシャ降りの長雨が続くといった悪天候の繰り返し。このため農作物が大きな被害を受け、何年も収穫は皆無に近い凶作で大飢饉に落ち込んでいた。村の人たちは、食うや食わずの毎日。その上、不順な天候の影響もあって悪い病気が流行し、村は荒れはて、人の心はすさみきっていた。
 この様子をみた巡礼のお坊さんは『これはいかん。このまま放っておくと村がつぶれてしまう。何とかして助けねばならん。』と、横山地区に留まった。
 幸いお坊さんは漢方薬の心得があったので、さっそく野山を駆け回って薬草を採集。これで薬をつくって病人に与えるなど骨身を惜しまぬ世話を続けた。村の人たちは当初、あまり身なりのよくないお坊さんに馴染(なじ)めなかったが、わがことのように村の人たちに尽くす姿を見るにつけ、また薬が利いて病気がなおるにつけ、だんだんお坊さんに親しみ、協力するようになり、やがては敬慕するまでになった。
 そのころ、お坊さんは『天候の回復、風雨順時・五穀豊饒を求めるのは、神様にお祈りするしかない。その祈りには「神子踊り」を奉納するのが一番よい』と、説いて回っていた。村の人たちは、お坊さんの教えをどうするかを相談。神様に『村中の家が三軒になっても毎年、かかさず「神子踊り」を奉納しますから村を災害からお守り下さい。』と、願(がん)をかけた。それ以来この「神子踊り」が踊り継がれるようになったという。
 お坊さんは諸国巡礼の身。いつまでも横山地区に留まっているわけにゆかず、ある日、村の人たちが『いつまでも村に住んでほしい』と、懇願するのを振り切って巡礼の旅に出ようとした。すると一匹の白キッネが現われ、お坊さんの衣の袖をくわえて放さず、とうとう旅立ちをさせなかった。
 こうしたこともあって、お坊さんは横山地区に住みつき、長い間、村のために尽くし続けた。やがてお坊さんも歳老い、死期を悟ったのであろうか、村の人たちに『私の体が入るだけの穴を掘ってほしい』と依頼。穴が出来るのを待って、生きたままの姿で、その穴に入り『わしの念仏の鐘の音が絶えた時が、わしの往生したあかしじゃ』と、言い残し、生身往生で果てた。ちょうど、お釈迦様降誕の4月8日だったといわれている。

 横山地区の山すそには、お坊さんが亡くなったといわれる穴の跡があり、いまでも地元の人たちが花を供えて、お礼まいりをしている。
 「神子踊り」は、いまは「チャンチャコ踊り」というようになっている。
            (1998年1月掲載)