(11)一宮町伊和神社 『鶴石』

玉垣に守られた「鶴石」

 一宮町須行名、播磨一の宮伊和神社の本殿の裏に神様の降臨された神聖な石「鶴(つる)石」が、おまつりしてある。直径1㍍ほどの丸目石。周囲を石垣でかこみ、その前に2基の石灯寵が立てられている。
 同神社の宮司、安黒義郎さんに、この「鶴石」にまつわる伝説の話など聞いた。

 昔、伊和恒郷に「われをまつれ」との、ご託宣があり、一夜のうちに杉、ヒノキ数千本が生い繁る広大な聖地ができた。空には数え切れぬほど多くのツルが舞っており、その中の大きな二羽が飛来して石の上にとまり、北を向いて眠っていたので、その跡に神殿が造営されたのが同神社の起源の一つとして伝えられる。 珍し目ことに神殿は北向きに建てられている。なぜ、北向きなのか。諸説があるが、その一つが、この「鶴石」の伝説といわれる。
 安政2年(1855年)の同神社の境内絵図には「鶴石」のことが「やうがふ石」=影向石(ようごういし)=と記されている。また、明治28年(1895年)当局の許可として〝「鶴石」を「降臨石」と改称する″とあり、「鶴石」のことは「影向石」「降臨石」ともいわれ、神様の天下り給うた石として崇(あが)められてきた。
 「鶴石」の前に立つ石灯寵は元禄10年(1697年)に建立されている。その銘文には〝宍粟郡中の人たちが力を合わせて造った。長く灯をともして神様が来現されたみあとを照らせ″という意味のことが漢文で刻み込まれている。大正13年(1924年)には「鶴石」の周囲が玉垣で囲われ、昭和59年(1984年)改築されている。

 同神社のご祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主命・伊和大神=。命は播磨の国を巡歴され国土を開発し、産業をすすめて生活の道を開き、医薬の法を定めて治病の術を教えるなど地域の人たちの幸福と世の平和をはかる国造りをされた。その国造りの事業が終わったのち、伊和の里にこられ、〝わが事業は終わった(おわ=於和)″といわれてお鎮まりになった。そこで地域の人たちが、その神徳をしたって社殿
を営んだのがはじまり。
 一説に成務天皇甲申歳二月十一日丁卯(144年)。あるいは欽明天皇二十五年甲申歳(564年)の創祀と伝えられている。
 また、同神社にかかわる伝説として玉岡松一郎さん著による「播磨の伝説」のなかに〝播磨国総社と伊和大神″と題して次のような伝説が掲載されている。

 姫路から宍粟の神戸(かんべ)へ神様を迎えに行くと伊和の大神には三人の息子があり三人とも姫路へ行くことを望んだ。そこで「お前達の中で一番鶏が鳴かぬ間に一番早く姫路へ着いた者に姫路へ行くことを許してやろう」ということになり、兄弟たちはそれぞれ思案したがその中で二番目の息子が家の下男に頼んで鶏の口をくくらせておいて姫路へ真っ先に着いた。それで二番目の息子が伊和から姫路へ来ることが決まり、そんなわけで伊和神社の鶏は時を告げないという。
                 (1997年9月掲載)

北向きに建っている伊和神社