⑨『鯉渕』と『錨渕』

 山崎町を縦貫して流れる揖保川の「鯉渕(こいぶち)」と「錨渕(いかりぶち)」にまつわる伝説を宍粟郡誌を参考につづってみた。

岩の点在する「鯉渕」

 「鯉測」は同町戸原地区の同河川東岸沿いの大きな岩が点在する水の淀み。宍粟郡誌によると昔、この付近の水深は3㍍余。中央部の川底には広くて奥深い岩洞(がんどう)があり、これを〝鯉釜(こいがま)″と呼んでいた。
 〝鯉釜″には呼び名のとおり、たくさんのコイが群をつくって住んでおり、古くから歴代の領主が、ここで大がかりな〝コイ捕り″を繰り広げていた。
 漁法は領内から集められた漁夫たちが力を合わせて〝鯉釜″の回りに大きな網を張りめぐらす。この作業が終わると泳ぎの達者な人が潜って〝鯉釜″にはいり込み、釜の中をかきまぜる。おどろいたコイが釜からとび出し綱にかかるのを待って捕まえるというもの。捕えたコイの体長は大きいもので1㍍くらい、小さなものでも3、40㌢だったと記録されている。漁夫たちが大きなコイを手づかみで水揚げするのは大変なことだったのではなかろうかー。
 この「鯉渕」の直ぐ近くの山すそに巨岩があり、〝盗人(ぬすっと)岩″と呼ばれていた。これは巨岩の下に大きな洞穴があり、ここに盗賊が隠れていたことがあるというので、その名が付いたという。巨岩の天辺(てっぺん)には2本の松が生え、その姿はとても美しく、岩上から眺めれば清流の中に点在する岩が泉水の飛石のようで風雅なものだったようだ。〝盗人岩″は十余年前の道路改良工事で姿を消している。

 伝説とは関係ないが「鯉渕」にほど近い同河川東岸の土手に「サイカチ」という兵庫県内では珍しい木が生えている。山崎植物同好会の河本雅視さんは『豆科の植物で県内では川沿いで、ごく稀にみられる。「鯉渕」近くのものは幹の直径が30cmくらい。枝にトゲがあるのが特徴。大きな実は洗たくや薬用に使われるそうだ。根がよく張るためか護岸によいようで、神崎郡神崎町では、この木が洪水から土手を守ったという記録が残っている』と話している。

 「錨渕」は山崎大橋の南、同町須賀沢、川戸両地区にまたがる同河川東岸沿いの流れの淀み。いまから三百年ほど前の慶長年代、姫路城主の池田輝政が高砂の浜で大船〝日本丸″を建造した。このとき船の錨二個を同町船元の鍛冶職人に『千種の鉄を使って作れ』と命じた。鍛冶職人は精魂を込めて鉄を打ち、大きな錨を作りあげ、そのうちの一個を同河川の筏(いかだ)を利用して搬出しようとしたが、たまたま増水中だったため筏手が揖(かじ)を誤って転覆(てんぷく)。折角、汗水たらして作った錨が深い渕の底に沈んでしまった。何回も錨の引き揚げをしようとしたが、成功しなかったという。このことから、この渕を「錨測」と呼ぶようになった。

 この渕の東岸には巨岩がそびえているが、その形が将棋のコマに似ているので〝将棋岩”と呼ばれている。
               (1997年3月掲載)

将棋岩の見える「錨渕」