蔦沢地区の北部、上ノ下地域を流れる河原山川の上流に「延ヶ滝(のぶがたき)」と呼ばれる落差20余㍍の見事な滝がある。
この滝には若い男女の悲恋伝説があり「蔦沢の伝説と民話集」を著作した地元の矢野寅之助さんは次のような話を聞かせて下さった。
むかし、河原山川の最上流、野々隅の高原に、お椀やお盆など木製品を作る人たちの集落があり、そこに働きものの若い男と母親の二人暮らしの一家が住んでいた。
ある時、この若い男が近所の友だちと連れだって室(現在、揖保郡御津町室津と推定)の明神様へお参りした。その帰りみち遊郭に立ち寄り“おのぶ”という遊女と知り合った。 “おのぶ” は気のやさしい、きれいな女性で、若い男は一目惚れ。二人で話し合い「 “おのぶ” が、つとめの年季(ねんき)があけ、自由の身になったら必ず夫婦になろう」と約束した。若い男は後ろ髪を引かれる思いで野々隅へ帰ったが、二人の約束ごとは胸の奥に秘め、母親にも話さなかった。この秘め事が、あとで大きな悲劇を生むことになろうとは思いもかけぬことだった。
数年後、長いつとめの年季があけ、自由の身になった “おのぶ” は、ひと時も忘れることのなかった若い男との約束を果たすため、さっそく野々隅に向かった。当時、女の足では、つらくて長い旅だった。尋ねたずねて都多の里(現在の蔦沢地区)に入り、険しい山道を登って、やっとのことで野々隅に着き、若い男の家を訪ねた。
生憎、若い男は外出中。留守番をしていた母親に会い、身の上話や二人の約束のことを語った。息子から何も聞いていなかった母親はびっくり。苦しまぎれに「 “おのぶ” さんとやら。あなたの尋ねてくれた息子は死にました。」と、ウソをついた。それは最近、近くの人が亡くなったことから思いついたことだった。母親は悲しむ “おのぶ” を連れて新しい一基の墓に案内した。字の読めない “おのぶ” は、それがウソと分からず、嘆き悲しんだ。どれくらいたっただろうか。日暮れが近くなったころ “おのぶ” は母親に別れをつげ山を下りていった。 “おのぶ” の白い足に赤い鼻緒の草履があわれだった。
あくる日、村の人が河原山川に落ちる滝壷の中で、若い女の死体が浮いているのを見つけた。 “おのぶ” だった。そして少し上流の深い渕の直ぐそばの木の枝に赤い鼻緒がひっかかっていた。
村人たちは、いつとはなく “おのぶ” の亡くなった滝を「おのぶの滝」といい、のちに「延ケ滝」と言われるようになったという。また、赤い鼻緒の見つかった深い渕は「女郎渕(じょろうぶち)」と呼ばれている。
(1996年5月掲載)