山崎町市場の山の中腹に「鬼面(おにめん)様」をまつる祠(ほこら)があり、付近の人たちの信仰をあつめている。このほど地元の山下まちゑさん、庄すみ子さん、高悦子さん、藤尾敬子さん、庄邦子さんの五人の主婦の案内で、この祠を訪ねた。
道ばたに立った鳥居をくぐって山道へ…。落葉に埋もれた急坂を登り、およそ30分で祠のある山腹に着いた。祠は切り立った大きな岩の下に建っていた。主婦たちは、さっそく手分けして祠の付近をきれいに掃除。「鬼面様」に、お花や果物、お菓子を供えて家内安全をお祈りした。この「鬼面様」には次のような伝説がある。
むかし、けわしい山の大きな岩の空洞に〝お椀(わん)″を貸してくれる「鬼面様」が住んでいた。お祭りや婚礼などお祝いごとをしたり、葬式などするとき“お椀”がほしければ「鬼面様」の住む空洞の入口に必要な“お椀”の数を書いておくと、あくる日の朝には間違いなく空洞の前に、お願いした数の “お椀” が、きっちりそろえて置いてあった。
貸してくれる “お椀” の数は、百人前でも二百人前でも望みどおりで、立派な黒塗りのものだった。 “お椀” を借りた人たちは用が済めば、きれいに洗って、もとの空洞の入口に返しておくと、どこへしまわれるのか夜のうちに “お椀” はすっかり消えていた。
こうしたことが何度も何度も繰りかえされ、地元の人たちは「鬼面様」に大変な恩恵をうけていた。ところがある時「鬼面様」から “お椀” を借りた人が、誤って一人前の “お椀” をこわしてしまった。正直にこのことを「鬼面様」に、わびればよかったが、この人は『たくさんの “お椀” の中の一つくらいこわれてもわかるまい』と、たりないまま “お椀” を空洞の前に返した。
あくる朝、いつものように “お椀” は、すっかり消えていたが、それからは地元の人たちが、いくら頼んでも “お椀” は貸してもらえなくなった。
地元の人たちは「鬼面様」の、ご恩に報いるため「鬼面様」が住んでいたと伝えられる山腹の大きな岩の下に祠を建立。昨年までは、毎年かかさず、お祭りを催し、供物をそなえて、お祈り。お参りの人たちには豆入りや赤飯のおにぎりなどふるまう“おせったい”を続けてきたという。
主婦たちは『私たちが若かったころ「鬼面様」のお祭りは大変なにぎわいで、祠の前の山道は、お参りの人でいっぱいになっていました。』などと、話していた。
(1996年1月掲載)